大学院生のAさんは数年前に某大学大学院に入学後、本人の意思とは無関係に決められた指導教員Bと折り合いが悪かった。しかし半年ほど経って、研究テーマについて他の教員に相談に行き、良いアイディアを得た。そのことをBに相談したところ、勝手に他の教員に相談したことを強く叱責され、それ以降関係がさらに悪化した。結果的にBは、客観的理由なくAさんを「進級不可」と判定して留年させた。
パワハラ事例 [p1803-180520](関西、教育機関)
Information and Archive against Academic Harassment
大学院生のAさんは数年前に某大学大学院に入学後、本人の意思とは無関係に決められた指導教員Bと折り合いが悪かった。しかし半年ほど経って、研究テーマについて他の教員に相談に行き、良いアイディアを得た。そのことをBに相談したところ、勝手に他の教員に相談したことを強く叱責され、それ以降関係がさらに悪化した。結果的にBは、客観的理由なくAさんを「進級不可」と判定して留年させた。
パワハラ事例 [p1803-180520](関西、教育機関)
数年前某大学院に入学して以来、院生のAさんは、本人の意思とは無関係にあてがわれた指導教員B(学部卒の官僚出身、研究経験無し)からほぼ毎日、まるで官僚の部下のように罵倒され続けた。結局、Aさんは精神的に追い詰められ、大学に近寄れないほどのトラウマが残って、退学を余儀なくされた。
パワハラ事例 [p1802-180516](関西、教育機関)
Aさんの急逝前の切迫した状況をずっと見て来られたご家族は、この亡くなり方に納得がいかず、人事の経過や心筋梗塞の発症原因などについて大学の多くの関係者〔学長や複数の教授など〕にご丁寧な書簡を送られたが、全く反応が無く実質的に無視された。数年後になり(ほとぼりが醒めた頃?)学長がいきなりご家族に面会に来て形ばかりの謝罪があったが、事件は「終了」とされてしまった。学内で教職員やましてや学生にもハラスメント事案としての疑いや認識が共有されることは全く無く、現在に至るまで学外にも一切発表されていない。かろうじて「急逝」を悼む「追悼論文集」は発行されたようであるが、、。
パワハラ事例 [p1801-180428] (2) (北信越、教育機関)(資料有、特定開示可能)
ある大学で若手の助(准)教授であったAさんは、大型実験装置の導入を進める一方で、上司の許可を得て助教採用の準備を進めていて、出身大学からの候補者に絞りその採用が目前になっていた。ところが、その段階でいきなり横槍が入り、その人事を棚上げ〔中止?〕せざるを得なくなった。理由は退職目前の教授の他大学からの赴任があり、当初研究はしないはずであったその教授が、研究もしたいので急きょ助教が欲しいと言い出したことによる。Aさんは関係者への説明と謝罪に忙殺された上、自分の研究プロジェクトの頓挫・方針変更などによる心労のため、数か月間強いストレスを受けたのち、心筋梗塞を発症し急逝された。
パワハラ事例 [p1801-180428] (1) (北信越、教育機関)(資料有、特定開示可能)
ご家族の手紙 1
これは、不幸な事件発生後かなりの時間が経過した後、当事者ご家族から元同僚の教員あてに出された手紙で、事件にかかわった関連教員の無責任な対応とそれに対する静かな憤りが感じられる。
ご家族の手紙 2
これは、手紙 1にある勇気をもって最初にご家族から学長あてに出された手紙で、事件を巡る大学側の理不尽な対応と調査要請が述べられている。
ご家族の手紙 3
手紙 2に対する対応として当該学長がご家族に面会に来た後、再度学長あてに出された手紙である。事態は何ら解決されず、被害者や手紙をよこす家族はむしろ厄介者扱いで、「何もなかった」としてさっさと収束させたいという大学側の思惑が透けて見える。