「その後」の経過
3月20日のDAYS JAPAN最終号の発行後の動きは余り多くないようである。目に付いたものは以下の記事であるが、見落としがある可能性があり、その場合はお赦し頂ければ幸いである。これに関しては、参考になるまとめサイトの記事https://togetter.com/li/1330896もあるので、是非ご参照頂きたい。
2019/3/22 写真誌(DAYS JAPAN)元スタッフ・元社員らが「DAYS元スタッフの会」https://days-former-staffs.jimdofree.comを結成。これまで同誌などに関わったスタッフらに連帯を呼びかける声明も発表。「証言を集め、問題を多方面から検証したい」としている。
https://www.kanaloco.jp/article/entry-155962.html
https://www.kanaloco.jp/article/entry-160098.html
https://www.asahi.com/articles/ASM3N6VFDM3NUCVL01V.html
「元スタッフの会」のホームページ上にある「会」発足声明、ケース集のページは是非訪れて頂きたい。前者には、<会の目的>、<会発足の経緯>、<呼びかけ>が含まれており、特に<会発足の経緯>には、(1)で触れたDAYS JAPAN 社の人事の「混乱」に絡んで、被害者を含む当時の事情を知るスタッフがほぼ全員排除されたことが述べられている。また、外部の第三者委員会の検証に協力しないもう一つの理由として「当時の社員数名が『検証に応じてなされた証言を役員が検閲するか』を確認したところ、『会社に不利益になるものを載せないのは当然だ』との回答があった。自分たちの証言が意図的に改変、もしくは隠蔽されることを懸念している」とし、独自の取り組みを進める拠り所としている。
2019/3/24 シンポジウム「広河隆一氏の性暴力から考える」(主催:早稲田大学ジャーナリズム研究所)が開催され、ジャーナリストら約160人らが参加。
https://www.kanaloco.jp/article/entry-156475.html
https://mainichi.jp/articles/20190326/k00/00m/040/361000c?pid=14516
https://buzfeed.cpm/jp/akikokobayashi/days5?bffbjapan&utm_term=4ldqpgp#4ldqpgp
上記記事によれば、登壇者は週刊文春で問題を最初に報道したライターの田村栄治氏、バズフィードジャパンの小林明子チーフニュースエディター、「メディアにおけるセクハラを考える会」代表の谷口真由美・大阪国際大准教授、後藤弘子・千葉大大学院専門法務研究科長。司会はアジアプレス・インターナショナルの野中章弘代表で、各識者が最終号の検証報告をどう見るか、意見を述べたようである。他に、参加していた津田大介氏(ジャーナリスト)やフェミニズム思想に詳しい岡野八代・同志社大教授らも発言したという。ここでは特に、谷口氏と後藤氏の意見を紹介する:
谷口氏;「(検証号)第2部(後述)への協力依頼があったが断った。事前に広川氏の面談調査の結果もわからないということだったので、協力しようがないと判断した」、その上で「この段階では検証になっていない。資料的価値があるかもしれないが、報道の自由は何のためにあるのか。性暴力被害に真摯に向き合っているのか」と問いかけたという。
後藤氏;「広河氏がどう責任を取るのか、DAYSとしてどう責任を取るのかが全く見えない報告書」と感想を述べ、「刑法の強制性交罪の成立には暴行や脅迫が必要という『暴行脅迫要件』を取り上げ、「2017年の刑法改正時にこの要件の撤廃を求める声が強く上がっていたが、実現しなかった。『暴行がなければ性暴力に当たらない』という主張は加害者の典型的な弁明だ。ここで広河氏の『合意だと思っていた』という主張を掲載することで、今後同種の事案で加害者が『合意』を主張する際にこれが利用されるのではないかと危惧している」と話したという。
3月20日最終号の内容について
第1部:検証委員会報告
(1)で述べた3氏(金子雅臣、上柳寿郎、太田啓子)がメンバー。「会社の干渉なく独立して検証を行うことを条件として3人は委員として就任した」とされ、「休刊後も関係者のヒアリングを続け最終報告をめざす」ようである(ネットで発表?)。上記の幾つかの記事やシンポジウムで指摘されているように、広河氏の面談調査(聞き取り)結果がメインで被害実態の調査や検証結果は無い。この調査は、「担当者」が聞き取りを行い、広川氏の主張に逐一考察を加える形式でまとめられていて、「広川氏個人の、極めて不十分な個別の問題点が次々と指摘され、注意に鈍感な子どもに行うような「説教」が行われている印象である。その一方で、圧倒的な権力をかさにきて行ってきた多くのセクシャルハラスメント(性暴力)、それと表裏一体であったパワーハラスメント、さらにはそれらを許容してきた取り巻きの人々などの問題、などの具体像が殆どなく、全体像が極めて見えにくくなっている。この問題の根本的解決には、最終報告書を待つしか無いのであろうか?果たしてそれは十分なものになるのか、今後も注視して行きたいと思う。以下にはQ1~Q8まである問答の内、Q1とQ6について、広河氏の解答と調査担当者の見解を要約して載せる:
Q1 デイズジャパンで扱ってきた性暴力と自分の性暴力の違いは?
(広河)DAYS JAPANはこの15年間40~50もの多くの「女性に対する暴力」に企画を取り扱ってきた。発刊の志の幾つかの柱の一つでもあった。それゆえ「私は自分が性暴力で女性を傷つけていることを指摘されても、当初は全く理解できませんでした」。そこで、もう一度考えたとき「私がDAYSで扱った『女性への暴力』は『あからさまな暴力』、『身体的な暴力』と捉えていたが、、、、『あからさまでない暴力』、『非身体的な暴力』は無視していたことに気づいた」。非身体的暴力によるその及ぼす傷の深さ等について、私の被害者が10年後でもPTSDを発症していることを知り、はじめて加害の可能性を認識することが出来た。これまでは「女性への暴力の一面しか取り上げることが出来なかった。
(調査担当者)外見的には、氏の言う「合意」に基づく「性的な関係」は「あからさまな暴力」とは一見全く無縁に見えるが、実は地続きの同根の問題である。問題の焦点は「暴力的かどうか」の外見ではなく、まさに意に反した強制されたものかどうかである。この意味で本来重なるべき二つのテーマが広河氏の中で(都合良く)分離されていることが大きな疑問となっている理由である。この問題に氏は真正面から答えねばならない。
Q6 「不本意な合意」「合意の強要」
(広河氏)私は、相手の同意があればそれはセクハラではないと考えてきた。(しかしながら)相手がいくら合意しても、その合意の中身は本意ではなく、仕方なく、つまり合意せざるを得ない立場や力関係で合意しているのだと考えるべき、という考え方は私に取っては新しいものであった,,,この中身や深さは、正直言って中々理解することは困難であった。男女間では合意があればいいのだと考えていて、田村氏が女性達を取材した結果では、合意は認められると述べていたから、まさか私の行為が「性犯罪」として週刊文春に掲載されるとは思ってみなかった。
私に対して、「強姦」とか「レイプ」という言葉で批判がされている。それに対して「合意があった」のだからそれらには当たらない、またあからさまな暴力などは用いていないのだから、それらと私の例とは一緒にしないで欲しい、などと(自己防衛の)言葉を繰り返してきた。しかし私自身も「強姦」とは何かというとき暴力や脅迫を思い浮かべるいわゆる「強姦神話」に影響を受けてきたことがわかってきた。
被害を行けたという方には謝罪しなければならない。「性暴力」や「セクハラ」、「パワハラ」に対する認識を深めながら、事実を確定する作業も行い、被害者にはきちんと謝罪を出来るようにしたい。
(調査担当者)広河氏は当初「暴力は無く」、「合意があった」として女性(達)との性的関係がレイプに当たらないのは当然だとしていたが、その後「非身体的暴力」、「不本意な合意」という言葉を知り、相手との関係性における自らの地位が、相手に「不本意な合意」を強いていた可能性について言及するに至っている。氏が「合意」と感じていたものは、不本意に「合意」せざるを得なかったという状況であり、はじめから合意しないという選択肢がほぼ存在しない状況における「合意の打診」は実質的には「合意の強要」に等しい。
ただそもそも、なぜ当時、氏が「当該女性達との間で対等に自由な合意を形成できる余地があった」と考えたのかはやはり疑問である。氏にはどこかで、相手が自分に向ける敬意や信頼を利用し、それに乗じて若い女性と性的関係をもつことが出来るという意識はあったのではないか。問題は、「僕『の仕事』に魅力を感じたり憧れたりしていた女性達」が氏に向ける敬意の目線を、氏が勝手に恋愛感情や性愛的な行為に読み替え、それに基づいて行動していたことである。これらの行動を自己正当化する根拠として、形式的「暴力が無く」、見かけ上の「合意があった」と強弁しているだけの気がするがどうであろうか?
第2部:「性暴力ハラスメント」にみる構造とは?についての意見
この部分の責任編集者は林美子氏で、肩書きはジャーナリスト、「メディアで働く女性ネットワーク(WiMN)」代表世話人、元朝日新聞者記者、などとある。多分、ネットや業界では有名人なのではないかと思われるが、素人の1読者にとっては(説明が無いので)なぜ林氏がえらばれたのか、どうして適任なのかもピンと来ないのが正直なところである。そうなると提示された内容で判断するしかないが、「広河氏の性暴力をどう考えるか」という編集責任者を引き受けた思い(経緯)について書いた文章に簡単にコメントしてみる。
朝日の記者時代からの広河氏との付き合い(その際は氏がそういう人物であることに「全く気付かなかった」としている)に触れた後、今回の最終号の編集依頼があったときのDAYS JAPANからの説明を紹介している。すなわち「最終号を、広河氏の事件を含め、性暴力やセクシャルハラスメントが蔓延する日本社会の構造について読者が考えるきっかけとしたい、それがジャーナリズム雑誌としてのDAYS JAPANの最後の務めだ」というものであったらしい。この時点では、林氏自身は、やめていった編集部員だけでなく肝心の被害者からも殆ど話を聞けないまま最終号を出すことになるとは予測していなかったかも知れない。しかしながらこの説明により編集責任を引き受けたことが、第1部の不完全さにより、結局広河氏の件を日本社会の構造一般の問題に薄めてしまおうというDAYS JAPAN側の(無意識の?)意図に結果として協力することになっている気がしてならない。検証号で必要なのは、いまさら上から目線で読者を「指導」するのでなく、一つ一つの具体的事実の詳細な発掘・調査と広河氏本人への確認であろう。それをやらないまま、加害者本人に弁明の機会のみを与えることはあってはならない。まさに、第1部の不完全さが第2部の意義を台無しにしている可能性は大きい。以下、「性暴力を理解する」、「権力とは何か」、「同意と合意」、「ハラスメントとは何か」という記述が続くが、以下の内容と重なることも多いのでここではあえてスルーする。
インタビュー記事などを寄せた方々(9名)もいずれも詳しく存じ上げないので、これも私自身が勉強になった(刺激を受けた)と思うものを幾つか紹介するに留める。まずは全員の記事の小見出しと筆者を記しておく(敬称略)。これで内容もかなり推測できる。
1) —男性は女性を鏡にするー自称「反権力、反体制」男性が陥る「権力志向」 伊藤公雄(京都産業大学客員教授)
2) —セクハラ「常態化」するメディアーメディア・記者こそ生活感・人権感覚を取り戻そう 南 彰(日本新聞労連中央執行委員長)
3) 自分の持つ影響力や権力に自覚を
大澤祥子(一般社団法人ちゃぶ台返し女子アクション共同代表理事)
4) —対等でなければ同意はないー同意がない性的行為は性暴力である
山本 潤(一般社団法人Spring代表理事)
広河氏の性暴力事件について「刑事的に責任を取らせるのはおそらく難しい」としつつその必要性を考えたいとしている。その中で、「加害者が『同意があった』と誤信したら無罪になってしまう」日本の現状に対し、ドイツの刑法、及びイギリスの性暴力対策法の考え方を紹介している。
ドイツでは、2016年の刑法改正で、加害者による暴行脅迫は性犯罪の成立要件ではなくなったという。またイギリスの「対策法」では、「能力」と「自由」がそろって初めて「同意」ができる、と書いてあるという。ここで「能力」とは、年齢や、知的障害の有無、酩酊状態かどうかといったことで、「自由」とは、暴行・脅迫や上位にある地位の利用がなく、その人が断る自由が保障されていること、であるというすなわち、対等という関係がなければ同意というものは存在しない、従わなければいけない状態があればそれは性暴力だ、ということになる。
また、組織における「権限」について、上のものが持つ権限はきちんと仕事をするための権限であって、(相手に同意を得ず)性行為をするための権限でも、怒鳴ったりしてストレスを発散する(パワハラをする)権限でもない、という基本的な指摘もしている。大切なのは、「女性を同じ人間だと思い」対等に扱えるかという点で、外国で見かける性的に成熟した対等な関係で、高め合い尊重し合う関係が日本ではなかなか目に見えないとされる。Springの活動を通じ目指していることは、「同意がない性的行為は性暴力」という認識を世の中の当たり前にすることで、特に今は、刑法の暴行脅迫要件の撤廃について活動をしている、すなわち、「性行為に同意はなかったが、暴行脅迫も無かったから有罪にできない」みたいなおかしな話は終わらせたいという。
5) セクハラを周囲が黙認することは加害者にお墨付きを与えていること
牟田和恵(大阪大学大学院人間科学研究科教授)
「権力」関係はどんなにミクロでも「認知のゆがみ」を引き起こし、無自覚かつ残酷なセクハラ、パワハラを引き起こすことが指摘されている。それと同時に、第三者(傍観者)による黙認は加害者の許容(と被害の一層の拡大・長期化)につながることも述べられ、特に男たちが声を上げることの重要性を説いている。「男の加害者は男が注意すれば聞く。だからこそ大多数の男性の意識を変えていかなくてはならない」としている(高齢男性の私も実感として賛成)。性暴力や性被害を扱う視点を加害者〜男性から被害者〜女性へ変えていかないといけない、という結論は重要であると感じる。
6) 人間を「モノ」として見る価値観が、差別と暴力の構造を生んでいる
野中章弘(アジアプレス・インターナショナル代表)
7) 広河氏の問うた戦争被害者への視点とは何だったのか
玉本英子(ジャーナリスト)
8) 左翼の男性たちに告ぐ 反省することは大事ですよ
濱田すみれ(アジア女性資料センター事務局)
「一言で言うなら、(これまで散々セクハラ、パワハラをやってきた)左翼の男たち、いい加減にしろ!ってことですね」。同感。家庭生活における両性の平等をうたっている「(憲法)24条を変えさせないキャンペーン」も重要だと感じる。多分全ての根はそこかも知れないと思う。
9) 閉鎖的な組織に潜むカリスマによる性暴力
白石 草(OurPlanet-TV代表)
「なぜ、これほど過酷な被害が、長い間封印されていたのか」という問いから始まる寄稿は、広河氏がまさに「人権派のカリスマ」であったことによる圧倒的な権力格差とそれを許した周りの人間・組織にその答えを見出しつつ、新しいメディアに相応しい新しい組織規範を紹介している。オルタナティブメディア(↔マスメディア)が掲げるべき条件(*1)がそれであるが、これが既に1960年代に提唱されているのには正直驚いた。また、実際に「組織内で声を上げることや被害を訴えることの難しさ」についても提案がある(高齢男性である私にとっても、第三者として加害者に注意することさえ大変勇気がいったので、この難しさは少しは想像できる)。それは、現在ある、子どもへの暴力防止プログラム「CAP (Child Assault Prevention)」(*2)のような道具・技術を背景にした取り組みがメディアで働く女性には必要ではないか、という指摘である。「このような性暴力やそれを生み出す構造を改善するには、加害者を減らすしかないが、加害者は殆どの場合無自覚なのでそれには膨大な時間がかかる。なるべく早く密室での次の被害者をなくすためには女性自身が自分の権利を主張し、自らの体と心を守るしかない」としている。
*1 「Zマガジン」を立ち上げた社会活動家、マイケル・アルバートによる(訳:神保哲夫『オルタナティブ・メディア〜変革のための市民メディア入門』より。
*2 日本でプログラムを扱っている団体は現在2つあると思われる(東日本と西日本?):
https://cap.j-net, https://j-capta.org/cap/index.html
最後のコラム「OUTLOOK」を本号にも書かれている斎藤美奈子さんの記事が経営陣の問題に明確に言及・危惧していることが印象に残る。