LGBT差別にまつわるハラスメント その後(1)

事実経過 (再)

 昨年4月、このテーマについて記事を書いてから、ほぼ1年半が経とうとしている。この間、コロナによる激変があったが、特に「一橋大学アウティング事件」などをめぐるその後はどうなったのか。前記事にはリンク切れも多くなっており、少し気になったので調べてみた。なお、弁護士ドットコムの一連の関連したニュースを参考にしている。

まずは「一橋大生のアウティング事件」の経緯を再度確認してみよう。

2015年4月  一橋法科大学院の男子学生、同級生に恋愛感情を告白。

同年6月    その同級生に、約10人参加のLINEアプリグループに同性愛者だと実名を挙げて書き込まれ、心身に不調をきたす。その後、担当教授やハラスメント相談員らに相談したが、大学はクラス替えなどの対策をせず。

同年8月24日 講義中にパニック状態になり校舎から転落死。

2016年    両親は同級生と大学(がアウティングに対し適切な対応を取らなかったとして)に損害賠償を求めて提訴。

2018年1月  同級生と和解。

*同年7月    証人尋問。証言者は、大学側から、学生が被害を相談した教授、ハラスメント相談室長、学校医。遺族側から、父、母、妹の計6人。但し、当該学生と最も密にやり取りしていた相談室の専門相談員は、事件後に退職しており、証人として呼べなかったという。

裁判で遺族側は、専門相談員が、アウティング被害に悩む学生に対し、同性愛者であることに悩んでいるかのような対応をとったことを問題視している。加えて、ゲイの学生に対し、性同一性障害の治療(が必要か?)で有名なメンタルクリニックをすすめており、性的思考と性自認を混同していたのではないか、と指摘している。

この点について、相談員に請われてこのクリニックを紹介した校医は、「個人情報の関係で、セクシャリティによる悩みとしか聞いていなかった」と語ったという。いっぽうで、性的思考の問題だったとしても、「精神医学の対象ではない」ものの通常のクリニックに比べれば、「手厚く対応してくれる」と思っていたそうである。つまり、個人情報保護の問題で(職員間の)連携がうまくいかなかった、と言いたいようである。

一方遺族側は、事件後の大学の対応について証言したという:【父親】学生がなくなった翌日、大学側との面談の中で「ショックなことを申し上げます。息子さんは同性愛者でした」と言われ、「(息子が亡くなったのに)何を言っているのだろう」と憤慨した。また、学生(息子)がハラスメント相談室に行っていたことは知っていたため、相談内容を教えて欲しいと伝えたが、「守秘義務」を理由に拒まれた。後日、学生の遺品から相談内容の写しが出てきたので、大学側に説明を求めたが、やはり回答は得られなかった。49日を過ぎて改めて説明を求めたところ、大学側が報告に来ることになったが、「弁護士を同席させる」と伝えたところ、予定はキャンセルになり、大学側からの連絡は途絶えた。「息子のことを知りたかったが、大学側に拒否されて、裁判するしか無かった」。

【母親、妹】学生の死後、彼が高校時代にも同級生の男性生徒に告白し、断られていたことを知った。しかしその相手とは、亡くなる直前まで一緒に遊ぶなど、親しい関係が継続していたという。「同性愛を苦にしていたのなら、高校の時に自殺していた」(母親)。「兄は同性愛を苦にしていたのではなく、アウティングを苦にしていた」(妹)。大学側は遺族側に対し、反対尋問は行わなかったという。

*同年10月     31日、弁論終結。この日も学生の両親が出廷。2016年8月の報道以来、傍聴席には毎回、裁判を支援する当事者や一橋大OBの姿があったという。両親は(閉廷後)傍聴席に向かって一礼。母親は「いつもありがとうございます」と述べ、目頭を抑えていたということである。

2019年2月27日

東京地裁(鈴木正紀裁判長)請求を棄却。「大学が適切な対応を怠ったとは認められない」(被害を相談した教授について「クラス替えをしなかったことが安全配慮義務に違反するとは言えない」とし、相談員についても「クラス替えの必要性を教授らに進言する義務は無かった」と認定)とした。

その後現在までの主な経過は次のようになるかと思われる。

2019年3月7日

上記判決を不服として遺族側が控訴。担当弁護士は「(学生の)相談への対応は、ことに重大性によって変わるはずだが、地裁判決はアウティング(暴露)の重大性・危険性に言及していない。どれほど酷いことをされたかを改めて主張することになる」と話している。

*2020年6月   三重県が「アウティング禁止条例」制定に向けた動き。3日、鈴木英敬知事が県議会本会議の知事提案説明の中で表明。年内の制定を目指すという。この条例には、都道府県として初めて、本人の了解なく性的思考や性自認を暴露するアウティングやカミングアウトの強制の禁止を盛り込む方針。一部報道で「罰則の検討」も報じられたが、県ダイバーシティ社会推進課は(弁護士ドットコムニュースの取材に)「罰則は現時点で未定。実効性の担保について議論していく」と回答。アウティングの禁止をめぐっては、一橋大の事件がきっかけとなって、東京都国立市で、2018年全国に先駆けた条例が施行されている。

【この三重県の方針に関する担当弁護士の意見】

アウティングはなぜダメか? アウティングとは、情報の暴露により社会や他人に自分をどう見せるのかという「情報コントロールの自由」を奪うこと。だからアウティングは、時に人間関係を破壊し、孤立を引き起こす。現実にそうならなくとも、本人は「そうなるかも知れない」という恐怖と不安に苛まれる。

性の問題に限らず、出自や家族の事情、健康や疾病についての情報など、個人が隠したいと思う情報を勝手に暴露するアウティングは、いずれも人権侵害。「誰も気にしていないのに大げさだ」「堂々とすればよいことなのに」「いつまでもクヨクヨせず早く元通りになりなよ」などという反応は、アウティングで奪われるもの(アウティングによりもたらされるダメージ、損失)に対する無理解。

-アウティングを条例で禁止することの意味は? アウティングが「ヒドいこと」だということについて、伝わる人には伝わるのに、伝わらない人には全然伝わらないジレンマの中、「あぁ、法律や条例で、アウティングは違法だと書いてくれていたら!」と思うことはある。しかし、伝わらない人に「法律(条例)に書いてあるからダメなんですよ!」と言ってみても、それは「ただ怒られた」「なんだか住み心地が悪くなってきた」と思わせるだけかもしれない。結果として、その人が口をつぐんでも、それは「怒られるから口をつぐむ社会」になるだけ。

-罰則を盛り込むことについては? 罰則をつけると、かえって問題の本質が理解しにくくなるのではないか。「アウティングをしたら犯罪者になる」という入口と出口しか見えない。本質を理解することが重要な問題であるからこそ、罰則によらなくても、たとえば、国立市の条例のように、アウティングが違法であると確認するようなかたちのほうが穏当ではないか。                           ピンとこない人をむやみに萎縮させることなく、「自分は平気だと思っていたけど、他人もそうだとは限らないのだ」と、その想像力に働きかける。自分が自分を中心に生きているように、他人もその人を中心に生きている。自分が自由であるのと同じように、他人も自由である。言い尽くされた「当たり前の人権」をポロッと忘れたときに起こるのがアウティング。

現在、和解に向けて進んでいるという情報もある。