バンカ島事件 (1)

1942年に、日本兵は豪の看護師21人を銃殺する前に何をしたのか? 真実追求の動き

 英国BBC放送の最近の記事*1によれば、「事件」の概要は以下の通りである:第2次大戦中の1942年、オーストラリアの女性看護師の一団が、日本軍兵士達によって殺害された。この事件に関連して、複数の(女性)歴史研究者(リネット・シルヴァーさん−軍事史研究者、バーバラ・エンジェルさん-伝記作家、デス・ローレンスさん−テレビキャスター)の調査により、ある事象が浮かび上がり、正式に公表されようとしている。その内容とは「その看護師達は殺害前日本兵達に性的暴行を受けたが、オーストラリア政府はそれをひた隠しにしてきた」というものである。

*1 https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-47986990

シルヴァーさんによる調査結果:シルヴァーさんはまずこう述べている;「この真実を発掘し、ついに公表するには複数の女性の力が必要だった」。ここでいう「真実」とはオーストラリア人看護師22人に起きた上記のような悲惨な体験をさす。行き残ったのはヴィヴィアン・ブルウィンクルさんただ一人であった。そして「オーストラリア軍の高官たちは、悲しみにくれる家族たちに家族が強姦されていたという汚名を与えたくなかった。恥ずべきことだと思われていたので。(当時)レイプは死よりもひどい運命と考えられ、ニュサウスウェールズ州では1955年まで(加害者は)絞首刑による極刑で処罰されていた」とも述べている。この圧力により、ブルウィンクルさんは東京裁判でも、強姦について「話すのを禁じられた」ということである。ブルウィンクルさんはこのことをキャスターであるローレンスさん(2017年証言)に伝え残していた。

シルヴァーさんによると「ヴィヴィアンさんはこの命令に従っており、オーストラリア政府にも多少の罪悪感があった。(何故なら)政府高官。は1942年の香港侵攻の際、日本兵がイギリス人看護師たちをレイプし殺害したのを知っていたにもかかわらず、オーストラリア人看護師のシンガポールからの避難が遅れたからである」。またバンカ島でマラリアの手当てを受けていた日本兵の証言もあるという。シルヴァーさんによれば、その兵士はオーストラリアの調査官に当時悲鳴を聞いたと話し、「兵士たちが海岸で楽しんでいるところで、次は隣の小隊の番だ」と聞かされたとも証言していた。

 さらに伝記作家のエンジェルさんは、ブルウィンクルさんが着ていた看護師の制服に残された色違いの糸と銃弾の穴について調べた結果を述べている。即ち、糸の違いは上半身のボタンが一旦引きちぎられ、後に(死後制服が展示された際に)そこだけ違う色の糸で縫いつけられてことが伺われる。また、制服の2カ所に残る銃弾痕(入口と出口)はぴったり合うにはやはり暴行の事実が示唆されるということも判明した。

 最後にシルヴァーさんは言う:ブルウィンクルさんが1945-46年に話したいと思っていた「ありのままの真実」は重要なことである。なぜなら「もし私がこの話を語らなければ、私自身も沈黙の風潮と政府の圧力に加担し、加害者を守ることになってしまうから。看護師たちの話を語る必要がある!それでやっと彼女たちの正義が実現する」。また今回の一連の証拠を発掘した歴史研究者が3人とも女性であったことについて「歴史(history)が彼の話(his-story)として語られるのをずっと聞いてきた。今回はその反対だ」とも述べている。さらに、最近の#MeToo運動との類似性も指摘している:何かを言える前に女性達が長い時間待つことを強いられると感じる同じような社会的道徳観が存在する。