バンカ島事件 (3)

世界的な反性暴力の潮流の中で日本(人)は今後何をすべきか?

昨年のノーベル平和賞

  記事(1) の中で、リネット・シルヴァーさんは、最近の#MeToo運動がブルウィンクルさんの告発に確信を与える(勇気付ける)ものになったと言及しているが、注目すべきフレーズとして、”(it’s known) rape and sexual assault are used as weapons in war”レイプや性的暴行は戦争における武器として使われてきたがある。この表現は、昨年のノーベル平和賞が強姦被害者を支援する活動家、ナディア・ムラド氏とデニ・ムクウェゲ医師の二人に与えられた際、ノーベル賞委員会が授賞理由としてあげた「戦争の武器として性暴力が使われるのを終わらせようと努力して」きて、「そのような戦争犯罪について社会(世界)が認識し戦っていくよう、重要な貢献をした」という文章中の表現とほぼ同じである。

BBCの記事*1によれば、二入の業績は以下のように要約できるであろう。

https://www.bbc.com/japanese/45760596

ナディア・ムラドさん:イラクの少数派ヤジディ教徒で、過激派「イスラム国」(IS)に拷問、強姦された(3ヶ月にわたりISに性奴隷として扱われ、繰り返し売買され、性暴力を含む様々な形で虐待された)のち脱出し、ISに捕らわれたヤジディ教徒解放に奔走した。ISから脱出して間もない頃BBCから受けたインタビューで、匿名での撮影とインタビューを断り「いいえ、私たちがどういう目に遭ったのか、世界に診てもらいましょう」と述べたという。現在は国連親善大使として人身売買被害者の救済のため活動し、強姦など性暴力が戦争の武器として使われる現状に対して国際社会として取り組むよう訴えてきた。2016年授賞したバーツラフ・ハベル人権賞の授賞スピーチでは、ISによる犯罪を国際裁判所に裁いてもらい、戦闘手段としての強姦に厳罰を適用するよう、国際社会に訴えかけた。

デニ・ムクウェゲ医師:婦人科の医師であるムクウェゲ氏は紛争の続くコンゴ民主共和国東部で強姦被害者の治療に同僚たちと取り組み、戦争の武器として使われる性暴力による重傷に対する治療法を確立してきた。患者の人数は約3万人と言われる。被害者の多くは、性器など身体に深刻な重傷を負っている場合が多く、それに対する再建手術などの治療法を確立し、被害者に提供してきた。2008年には、国連人権賞、ナイジェリア紙が選ぶ「今年のアフリカ人」など様々な賞に選ばれたほか、2014年には、欧州議会が優れた人権活動家に贈る「思想と自由のためのサハロフ賞」を授賞。現在国連平和維持部隊の警護を受けながら、コンゴ東部ブカブのパンジー医院で生活している。戦闘行為としての強姦を厳しく取り締まるよう、国際社会に呼びかけてきた。

日本で相次ぐ性暴力事件に対する無罪判決

  これに対して最近の日本における酷い状況はどうだろう?THE BIG ISSUE JAPAN 360号の「雨宮所凛(あめみやかりん)の活動日誌」によれば、この3、4月性暴力事件に対する無罪判決が相次いでいる。3月12日福岡地裁:テキーラなどを飲まされた女性が性的暴行された事件において、男性が無罪判決。3月19日静岡地裁:強制性交致傷罪に問われた男性が無罪。3月28日静岡地裁:実の娘を12歳から2年間性的暴行をした罪に問われていた父親が無罪。理由は、「家が狭い」から家族が気づかなかったのはおかしい、長女の証言は信用できないなどである。4月4日名古屋地裁:中学2年生の時から実の娘に性的虐待をしていた父親が無罪、などである。

 わずか1ヶ月ほどの間に続いたこれら一連の司法判断を受けて、4月11日午後7時から東京駅近くの広場で開催されたのが、性暴力と性暴力判決に抗議するスタンディングデモであった。底冷えする夜であったのに400人もの女性が全国から駆けつけた。手にしたプラカードには「裁判官に人権教育と性教育を!」、「おしえて!性犯罪者と裁判長はどう拒否したらヤダって理解できるの?」、「Yes Means Yes !」などの文字があった。

 最初は著名人が判決への怒りをスピーチしたものの、途中からは多くの参加者(性暴力、セクハラを受けてきた人、17歳の高校生、50代女性、、、)が飛び入りでマイクを握り思いの丈を語ったという。ここでは、紹介されている発言を再掲して、われわれが向かうべき次のステップへのきっかけとしたい。

 「子供の頃に強制わいせつの被害に遭いました。20歳になってから記憶が蘇って、PTSDの症状で学校に行けなくなりました。夜も眠れませんでした。もう10年以上経ちました。非正規で、バイトして、ギリギリで生活してて、それでやってるバイトでセクハラ。ふざけんじゃねえよ!!どうして被害に遭う私たちが社会を転々としないといけないんでしょうか?」「幼馴染だった友人は、家庭内暴力の末に、性的虐待の被害にも遭って、24歳で自殺しました。助けてくれる大人はいませんでした。今日、たくさんの人が花を持って集まった。その花をどうか、生きられなかった私の友達や誰かの友達に、たむけてあげてください」

日本人男性として思うこと

  バンカ島事件については、私自身最近まで詳細は知らなかったが、今回の記事を契機に色々調べてみて、この事件は、従軍看護師とはいえ歴とした民間人で、例え捕虜であったとしても当時でさえ人権はある程度尊重されていたゆえに、虐殺(銃殺)など到底有りえないことだと思われる。それに加え、銃殺の前に強姦するというのは常軌を逸しているという気がする。しかも同様のことを香港、フィリビン、バンカ島と続けて行っているのはほぼ確実である(同じ聯隊かも?)。これらの事実はこの日本軍兵士による強姦・虐殺という一連の行為が戦局などに追い詰められた突発的な行為でなく、大隊のかなり上まで承知していた計画的な犯罪であったことを示唆している。「南京虐殺被害者はもっと少なかった(そもそも無かった!)」とか「朝鮮人慰安婦は強制してやらせたものではない」と幾ら宣伝しても、この事件の本質を見ると世界の世論に対する説得力に著しく欠けていると言わざるをえない。

 この事件の酷さには、私自身日本人(高齢)男性として、そのような祖父、父をもったことを大変恥ずかしく思う。そして、加害者の側からもっと様々な事実の発掘に努める必要があったのに、全くそのようなことが出来ていないことも深く反省している。もちろん今からでも遅くないので(余り時間がないが)やるつもりではあるが。

 このバンカ島事件についてのBBCの記事への大手マスコミの反応は殆ど無かったが、時々話題になるこのような「昔の出来事」に関し、世間一般のいつもの言説は、サトウ氏の見解にもあった「どこの戦争でもあること」、「戦争中の異常な状況下だから仕方ない」、「占領軍も日本でやっていた」、「加害者も被害者ももう殆どいないからもういいんじゃないの!」「加害者も多く戦死しているのだから罪には問えないよ」等の緩くかつ乱暴なものである。本当にこのようなぬるま湯的な総括で世界は許してくれるのかを真剣に考えるときに来ている気がする。このような過去をもつ日本こそ率先して戦争犯罪(慰安婦)博物館などを設立し、戦争犯罪に関する世界的な客観的かつ第三者的な研究拠点を作ると同時に、戦争犯罪を厳しく追及し裁く国際裁判所等も誘致すべきではないだろうか。公正な国際裁判における加害者への厳罰こそが戦争犯罪もしくは戦時下性暴力を減らす大きな一歩となると考えられる。とりあえず今はせめて伴走者(#WithYou)として走り始めることを誓いたいと思う。

バンカ島事件 (2)

日本軍兵士により虐殺された看護師らは多分殺害前にレイプされていた!

 実は、(1)の事件は、既に26年前(1993年)日本人研究者によって公けにされていた。以下にそのことを報道したオーストラリアの新聞記事を翻訳して紹介する。

*1 22 Sep 1993 – Murdered nurses were probably raped by Japanese officers, says academic, Trove ノーマン・アブジョレンセン(署名)

 日本人学者の研究*2によると、第2次大戦時、バンカ島において日本軍に虐殺された21人のオーストラリア人従軍看護師達(のグループ)は、ほぼ確実に殺害される直前に日本軍兵士によりレイプされていたが、そのレイプの事実は彼女らの(名誉ある)記憶を守るため(永年)隠されていたということである。

 そのような苦難を生き延びた看護師のただ一人の生存者、(シスター)ヴィヴィアン・ブルウィンクルは、オーストラリア当局への説明の中でレイプについて一切言及していない。

 この大量虐殺の報告は、当時の呆然としていたオーストラリア(の人々)を恐れさせると同時に激しく怒らせることになった。「オーストラリア国立大学における日本」という国際会議で今日(1993年当時)タナカユキ(田中利幸)氏(現在=1993年当時メルボルン大学教員)により発表された論文によれば、(様々な)証拠は、シスターブルウィンクルは「調査に際し、彼女の亡くなった同僚達をレイプの犠牲者として知られるという不名誉から守るため真実を述べなかった」ことを示唆しているとしている。シスターブルウィンクルも負傷して死に瀕していたが、その後陸地に戻ることができた(虐殺は海岸の海の中で行われた)。

 その看護師達は、1942年2月11日(日本軍による陥落より4日前)シンガポールから避難したが、彼女らが乗船した船(ヴァイナブルック号)は、日本軍の飛行機により爆撃され、スマトラとバンカ島の中間で沈没した。12人の従軍看護師を含む多くの乗客が溺死したが、他の人々は最大4日も漂流したのちバンカ島に辿り着いた。彼女らは日本兵によって捕らえられ、男性(殆どが英国人兵士)とは分離させられた後(海中で)銃殺された。そのとき彼女らは全員オーストラリア軍従軍看護師の制服を着用し赤十字の腕章を着けていたというのに、である。

 タナカ氏は次のことは極めて重要であると述べている:日本兵らは、銃剣により殺害した英国人兵士の遺体は海岸に放置したのに対し、彼女らの体の「証拠」は後に残されないように確認していた。

 終戦後直ちに、オーストラリア軍調査委員会は加害者の探索を開始した−(なぜなら)(岐阜歩兵)第229聯隊(聯隊長田中良三郎少将、事件当時大佐)第1大隊の何人かの日本兵は(後で判ることだが)バンカ島事件の2ヶ月前香港で起こった(英国人)看護師に対するレイプ・虐殺事件に関与した疑いで既に英国により取り調べを受けていたからである(調査委員会は田中良三郎少将を逮捕したが、聯隊はガダルカナルでほぼ全滅したため証言者が殆どいなかったようである*3。第1大隊長(折田優少佐、事件当時大尉)は、戦後ロシアに抑留されていたが、その後東京に戻ったものの、(裁判で)尋問される前に自殺している(タナカ氏の著書*2によると、1948年6月16日舞鶴に帰還した後、6月19日に米軍に身柄を引き渡され、巣鴨拘置所に拘留された。その勾留中の9月に窓ガラス修理用の道具で首の血管を切って自殺し、起訴には至らなかった)。

タナカ氏は、英国とオーストラリア両国の調査による文書から、次のように推定している:即ち、バンカ島でオーストラリア軍看護師を虐殺した兵士達は、殆ど確実に、香港で英国人看護師をレイプし虐殺した兵士達で同一である。この理由により、オーストラリア軍看護師はやはり虐殺される前にレイプされていたと考えられる。

タナカ氏の論文は次のことも明らかにしている:日本人だけがレイピスト(強姦者)ではなく、(最近の文献によれば)1945年10月に呉で日本人一般市民への一連のレイプ事件が占領軍により起こされたが、その(加害者の)中にオーストラリア軍兵士も含まれていたということである。

ある研究者は、警察により募集された売春婦は「防火線」の役割を果たしたと言っている:「オーストラリア兵は最悪だ。彼らは若い女性をジープに引きずり込み、山の方を拉致した後レイプした。私はほぼ毎晩彼女らの助けを求める悲鳴を聞いた」。戦争時のレイプや日本で言うところの「慰安婦(売春婦になることを強いられた、多くの場合外国人女性)」について多くの研究実績をもつタナカ氏は「戦争とレイプは同じ種類の事柄であり:即ち、それらは本質的に互いに関係している」。(以下省略)

2* 田中利幸『知られざる戦争犯罪―日本軍はオーストラリア人に何をしたか』大月書店、1993年12月2日第1刷発行、ISBN 4-272-52030-X

3* https://ja.wikipedia.org/wiki/バンカ島事件

  • 田中利幸氏について

https://ja.wikipedia.org/wiki/田中利幸

田中氏は1949年5月福井県生まれ(70歳)の歴史学者で、広島市立大学教授を経て、現在ドイツのハンブルグ社会研究所で「紛争時の性暴力」研究プロジェクトメンバー。従来は知られていなかった日本軍による戦争犯罪の事例を紹介してきた。戦争犯罪に関しては、加害者が被害者でもある両面性、戦争犯罪の普遍性といった問題意識も有し、アメリカ軍など連合国側による戦争犯罪との比較研究も進めている。また、第2次大戦時日本軍の「人肉食」への言及でも知られている。これらの「業績」に対し、いわゆる「右翼」の側から「反日デマ」、「国賊」等口汚いネットバッシングも受けている。

バンカ島事件 (1)

1942年に、日本兵は豪の看護師21人を銃殺する前に何をしたのか? 真実追求の動き

 英国BBC放送の最近の記事*1によれば、「事件」の概要は以下の通りである:第2次大戦中の1942年、オーストラリアの女性看護師の一団が、日本軍兵士達によって殺害された。この事件に関連して、複数の(女性)歴史研究者(リネット・シルヴァーさん−軍事史研究者、バーバラ・エンジェルさん-伝記作家、デス・ローレンスさん−テレビキャスター)の調査により、ある事象が浮かび上がり、正式に公表されようとしている。その内容とは「その看護師達は殺害前日本兵達に性的暴行を受けたが、オーストラリア政府はそれをひた隠しにしてきた」というものである。

*1 https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-47986990

シルヴァーさんによる調査結果:シルヴァーさんはまずこう述べている;「この真実を発掘し、ついに公表するには複数の女性の力が必要だった」。ここでいう「真実」とはオーストラリア人看護師22人に起きた上記のような悲惨な体験をさす。行き残ったのはヴィヴィアン・ブルウィンクルさんただ一人であった。そして「オーストラリア軍の高官たちは、悲しみにくれる家族たちに家族が強姦されていたという汚名を与えたくなかった。恥ずべきことだと思われていたので。(当時)レイプは死よりもひどい運命と考えられ、ニュサウスウェールズ州では1955年まで(加害者は)絞首刑による極刑で処罰されていた」とも述べている。この圧力により、ブルウィンクルさんは東京裁判でも、強姦について「話すのを禁じられた」ということである。ブルウィンクルさんはこのことをキャスターであるローレンスさん(2017年証言)に伝え残していた。

シルヴァーさんによると「ヴィヴィアンさんはこの命令に従っており、オーストラリア政府にも多少の罪悪感があった。(何故なら)政府高官。は1942年の香港侵攻の際、日本兵がイギリス人看護師たちをレイプし殺害したのを知っていたにもかかわらず、オーストラリア人看護師のシンガポールからの避難が遅れたからである」。またバンカ島でマラリアの手当てを受けていた日本兵の証言もあるという。シルヴァーさんによれば、その兵士はオーストラリアの調査官に当時悲鳴を聞いたと話し、「兵士たちが海岸で楽しんでいるところで、次は隣の小隊の番だ」と聞かされたとも証言していた。

 さらに伝記作家のエンジェルさんは、ブルウィンクルさんが着ていた看護師の制服に残された色違いの糸と銃弾の穴について調べた結果を述べている。即ち、糸の違いは上半身のボタンが一旦引きちぎられ、後に(死後制服が展示された際に)そこだけ違う色の糸で縫いつけられてことが伺われる。また、制服の2カ所に残る銃弾痕(入口と出口)はぴったり合うにはやはり暴行の事実が示唆されるということも判明した。

 最後にシルヴァーさんは言う:ブルウィンクルさんが1945-46年に話したいと思っていた「ありのままの真実」は重要なことである。なぜなら「もし私がこの話を語らなければ、私自身も沈黙の風潮と政府の圧力に加担し、加害者を守ることになってしまうから。看護師たちの話を語る必要がある!それでやっと彼女たちの正義が実現する」。また今回の一連の証拠を発掘した歴史研究者が3人とも女性であったことについて「歴史(history)が彼の話(his-story)として語られるのをずっと聞いてきた。今回はその反対だ」とも述べている。さらに、最近の#MeToo運動との類似性も指摘している:何かを言える前に女性達が長い時間待つことを強いられると感じる同じような社会的道徳観が存在する。