長年のパワハラの果てに出現した荒廃
比較的若く教授として赴任したAは、自分よりも下位の教職員や学生には、当初からいわゆる暴力団員のような態度と言葉遣いで、周囲に様々なハラスメントを行い続けていたが、その異様な風体と剣幕を恐れ、上司も含め誰も忠告をする存在が無かった.そのような中、
- 複数の若手教員には、身体的欠陥を不当に指摘する言動(廊下ですれ違い様嘲る等)を、本人達の抗議にも関わらず10年以上執拗に続けた他、特にある組織の長についてからは、
- 全体会議に欠席の連絡をして来た若手教員の電話に、会議中にも係らず怒鳴りつけ、電話機を乱暴に扱ったり、
- 文科省に応募のプロジェクト書類作成に自分の立てた勝手な計画に協力しなかったとして、他の協力組織の長を罵倒し、学長に注進してその罷免を要求し認めさせる、
- 緊急を要する装置の大規模修理やリプレース関連予算執行に、理由もはっきりさせず長期間抵抗する等、一般教職員・学生が理解に苦しみ、萎縮するような言動を取り続けた.
また学生に対しては、「俺は実験室など入らない」と豪語しつつ、助教(女性)を通じてまた直接日常的な「厳しい」指導を続けていた.研究室の学生連中の救いは、その助教の存在で、学生との間にクッションとして入り一生懸命コミュニケーションを取って研究室を支えている、というのが専らの評判であった.
ところが退職の数年前、この助教が他大学に栄転し、クッションが亡くなった1年半後、就職を翌年春に控えた学生B君が寮の自室で縊死した.また同日他組織所属の学生C君も同様の死を選んだ.彼も翌年3月就職予定であった.組織全体で緊急メールが共有され、やっと具体的な対策が検討され始めた(カウンセリングの強化、「友達」を作るためのスポーツ大会の開催?等が検討された!)が、これらの事情は一切外部に発表されることは無かった.B君のご両親は納得がいかず大学と1年余に渡り交渉を続けたが、結局裁判に持ち込むことは大学側に抑え込まれてしまった.その際出された条件の一つとして、Aの処分をすることがあり、この時点でやっと大学はAの処分に踏み切った。但しその内容は軽微なもので、退職金もほぼ減額もなく支払われたようである.
一握りの傍若無人なハラスメント加害者を組織として長年放置し続けると、被害者の数が増えるに留まらず、いつかは重大な悲劇に繋がるという教訓をわれわれは学ぶべきであろう.
パワハラ事例 [p1807-180924] (北信越、教育機関)(資料有、特定開示可能)